こんちは映画好きtakaarです。
今回の映画はなかなかに重い内容の映画「月」。「茜色に焼かれる」「舟を編む」「川の底からこんにちは」などの石井裕也監督作品。原作は辺見庸の小説「月」をベースに、石井監督が脚本、監督を務める。実際に神奈川県相模原市の知的障害者施設で起こった大量無差別殺人事件を元にしたお話。社会における重度障害者との向き合い方を観るものに問う衝撃作。ってことで鑑賞の感想を。
作品情報
- 監督:石井裕也
- 脚本:石井裕也
- 原作:辺見庸「月」
- 製作:長井龍、永井拓郎
- 製作総指揮:河村光庸
- 出演者:宮沢りえ、磯村勇人、二階堂ふみ、オダギリジョー、高畑淳子、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子
- 撮影:鎌苅洋一
- 配給:スターサンズ
- 公開: 2023年10月13日
- 上映時間:144分
あらすじ
元有名作家の堂島洋子(宮沢りえ)は夫の昌平(オダギリジョー)とふたり暮らしの夫婦。洋子は東日本大震災や自身の子が障害を持ち幼くして亡くなったことにより物を書けなくなってしまう。そんななか新しく働くことにしたのは森の奥にある重度障害者施設だった。
そこで働く若者さとくん(磯村勇人)や坪内洋子(二階堂ふみ)と交流を深めていく。その施設では職員による入所者への心ない扱いや暴力が横行していた。それを目の当たりにし、上司に訴えても聞き入れてはもらえない。そんな施設の理不尽に誰よりも憤っているのは、同僚のさとくんだった。
さとくんの中で増幅する正義感や使命感がやがて怒りを伴い歪んだ形で表面化していく〝世の中の役に立たない人間は必要なのか?〟〝必要ないなら俺が殺してやる〟と。危険な思考へと向かうさとくんと対峙する洋子。この時洋子は妊娠していた。高齢出産で障害児が産まれる可能性も高いと医師から忠告もされ、自分の意思で生まれてくる生命の殺生を選択をしようとする洋子。さとくんの言う〝役に立たない人間は必要なのか〟そんな考えと同じかも知れない、と戸惑い産むべきか堕ろすべきか思い悩む。そしてさとくんの障害者への歪んだ正義の刃は突き抜け暴走していく…
臭いものには蓋をする見て見ぬふりをする
現代社会に問題提起を投げかける衝撃作
今やコンプライアンスがどうだと声高に叫ばれ成熟してきたようにみえる現代だが、それは健常者の間の話。そんな表面上の話ではなくてこの映画が描くのは人間の生命、尊厳の話。昔から障害者問題は少数派のもの、陰部の事として扱われないがしろにされてきた。そこには当事者である障害者や施設を管理するスタッフ、預けている家族、近隣住民の存在もあり、確かに存在しているのにも関わらず。
それは蓋をされ隠され〝なかったこと〟にされがちである。
障害者を臭いものとし山奥の施設に隠し、見えなくし、あたかもなかったことのようにしてきた社会。その現実から目を背けず見ろ!こんな現状だからこうなるんだ!と言わんばかりに顛末を突きつけられる。こんな事態になったのは事件を起こした個人の責任ではなくキチンと向き合わない社会全体の責任ではないのかと。でも誰も最適解の解答を持ち合わせていない、だから今こうなってしまっているのも確かで。目を背け見て見ぬふりをしてるのは貴方も同じですよねと問われ心を抉られ、障害者と社会のあり方を考えさせられます…
人の生命の価値とは?
洋子はここで生年月日が同じの入所者きーちゃんと出会う。きーちゃんは重度障害者で、ほぼ全身動かすことができない。ただ、意識と感覚があるだけ。目も見えないし意思を伝えることもできない。まさに生きる屍、生かされている状態。そんなきーちゃんの絶望的な生に対し、それが人間なのかどうか、疑問を持ち絶望もする。はたして生かされているだけの彼女は人間として生きるに値するのか。しかし接しているうちにピクリともしない彼女にも意識があり心もあるのではと感じ確かな生の意識も芽生えるようになる。そんなきーちゃんにも足繁く施設へ面会に訪れる人もある、お母さんだ。何十年もずっと。お母さんにとっては大事な娘だから。
ここにいる障害者たちは幸せなんだろうか…
意思疎通の取れない重度障害者は人ではない“心失者”で生きている価値もない、だから死んでもらうとさとくんは言う。虐げられている現状をどうにかしたいし、分かってももらえない。報われない想いはいつしか歪んだ狂気へと変わっていく。変わらないなら俺が変えてやる、終わらせてやる、障害者のために、社会のために、この国のために〝俺が障害者を殺してやるよ〟と。
高齢出産を控え不安と抱えきれない想いから洋子自身も〝障害を持って生まれるかもしれない子供なら堕胎した方がいいかもしれない〟そう思ってしまった…。この考えはさとくんの言う価値がないと同じではないかと自分の思いに愕然とする。施設も表向きは「誰もが平等で笑顔で溢れる職場」と言っているのに。
そんなさとくんと対峙する洋子は〝人を傷つけるのは絶対ダメ!そんな考えのアナタを絶対に認めない〟と反論する。人ってなんですかあいつらは意思疎通もできない人ではないじゃないかと吐き捨てる。
人の社会の役に立たないと人間としての価値はないのか、存在しているだけでいいと思ってもらえる親が家族がいるだけでも生きている価値はあるはずだと思いなおす洋子だった。
これも捉え方が難しい問題ですね、ものじゃなくって無形の人の生命ですから…。効率厨の資本主義なら有無を言わさず〝価値なし〟なんでしょう、だけど人は心で動く動物ですからなんとも割り切れない。当事者でもない私も声高に言い切れない…そして絶対的答えもないのだろうし
障害者自身が演者として出演している意義
この映画には実際の障害者も演者として出演している。奇声を発し落ち着きがない障害者の施設での生活。観ている健常者には違和感を感じる障害者のリアルが画面から伝わる。出演した当人たちにとっても刺激になり承認欲求を満たし、生きる活力にもなりwinwinなのではとも思う。そのリアルな姿を観る私たちに強烈なインパクトを与えるので伝えたいことが直球で伝わってくる。
以下はネット記事からの引用ですが出演された障害者の方の様子を
〈出演について〉自己決定が大事だと考え、利用者の皆さんに映画の内容を説明して、出演するかどうかの意向を確認することにしました。その上で、出る意思を示した人には、保護者に自分の口で説明するように促しました。私から説明するのではなく、自分で決めてきた仕事という感覚を大切にさせたかったのです。その後、私の方でも保護者の方々にも確認をしました。
〈引用元〉相模原事件を素材にした映画『月』に現実の障害者が出演していることの意味
面白かったではなく、観た方がいいと思った作品
これに近しい感覚を覚えたのは一昨年の「PLAN75」も同じだった。ここにも磯村勇人が出演しているので要チェック。彼は近代社会派ドラマに欠かせないアクターになりつつありますね。最初の配給元〈角川〉から「障害者を出演させるのはNG」などと言われ一旦は配給会社もなくし、いろんな苦労を乗り越えて公開にこぎつけたこの作品。演者やスタッフの覚悟が伝わり広く知られ、世の中が障害者の現状について考えていくキッカケになればいいなとも思います。アカデミー賞でも獲って地上波ゴールデンタイムで全国放送でもされれば良くも悪くももっと巨大な波紋が起きることになるんでしょうね。第48回報知映画賞では「作品賞」「助演男優賞(磯村勇人)」「助演女優賞(二階堂ふみ)」で受賞されているようなのでワンチャンありかもですね。「自己責任」やら「他人事」だけで片付ける世の中ではなくって…。多様性って便利な言葉を多用する社会が本当に綺麗事、責任回避に感じますよね…
まだ観ていないそこのアナタ、問題提起にぶん殴られましょう!是非観てください!。
ってことで
勝手に評価点
B評価:72点