ポンコツ人間の私がデザイナーになるまでの話

 

 

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チョリーっすtakaarです

今日のブログは私自身のことについて書きます

 

自分で言うのもなんですが
私なかなかの“ポンコツ人間”でして…(T_T)

 

いい大人になっても長い間フラフラしてましたw

 

一時期は仕事もしないで“ひきこもり状態”に(-.-)
今だから気軽に言えるけれど当時は
“自分でもどうして良いのかわからにゃい”暗闇の毎日だった…
マジで社会復帰できてヨカッタ!!

 

そんな私もありがたいことに
グラフィックデザイナー歴15年のオッサンになりました

 

そんなポンコツな私が
デザイナーになるまでのお話しッス
ちょっとした長編「ポンコツおやじ」の半生ですよぉw

 

 

 

 

勉強が出来なかった少年時代


 


ポンコツの所以はやっぱりここ
“勉強が出来なかった”こと
特に数学は全くやる気がしなかった(-.-)
小4の分数くらいからほぼ記憶がにゃいw
だけど高校時代にはテストで一ケタとった記憶があるwww

 

こんなポンコツなので

“出来る限り勉強はしたくにゃい!”

“一刻も早く社会に出て仕事がしたい

と日々切実に思う学生生活を送っていた

 

 

 

 

社会に出てみたがやりたい仕事がにゃい(T_T)


 

高校卒業後、念願の社会人デビュー😄
就職した会社はカーテン・カーペットなどを製造、販売する会社

ここで内勤事務仕事を始める

 

が、理想と現実のギャップが芽生え始める

「ここで一生働くのか?あんな先輩みたいになっていくのか俺?」

ここでも見事なポンコツ思考を発揮する私w

 

みんな生活する為、家族を守る為に仕事をしている
そんなことにも気づかなかった青い私

 

俺はもっと何か違う仕事がしたいんじゃぁぁぁ〜
嫌々ながらも4年間勤め、会社を辞めた

 

そして貯めたお金で現実逃避へLet’s GO!

 

 

 

 

 

やりたい仕事がにゃい!だからとりあえず逃げてみたw


 

会社を辞めたはいいが、やりたい仕事も見つからない…
そんな日々の中、ポンコツ思考全快の私は何を思ったのか?

突然パックパッカーとなり世界一周の旅に出たw

詳細はこちら

こんにちはtakaarです。   今日のお話は 20年前にバックパッカーで世界一周した話 -序章-   実は私その昔バックパッカーでして その時のいろんなお話をしていきたいと思います。 って、言っても20年前ですけどね…
20年前にバックパッカーで世界一周した話 -序章-【旅行・一人旅】

 

この旅行が約1年続きポンコツ街道まっしぐら

完全に日本社会からドロップアウトした22歳の春だった

 

 

 

 

 

燃え尽きて…完全に灰になった…〈ひきこもり時代〉


 

長い旅行から帰ってきた
世界一周をやり遂げた達成感で

“燃え尽き症候群”発病!(´‐`)

日本での当たり前の日常生活では
な〜〜〜んもやる気がせんwww

 

まぁ、1ヶ月くらい休んでから仕事でも探そうかなぁ〜

と余裕ぶっこいた

 

1ヶ月経ち
うん、明日から仕事探そ、明日、明日(ゲームしよ♪)

 

2ヶ月経ち
あ〜、そろそろ仕事せんとヤバいよな、親もウルサイし…(ゲームしよ♪)

 

3ヶ月経ち
うわぁ、履歴書書くのってバリめんどくせぇ(ヾノ・∀・`)…、明日しよ…(ゲームしよ♪)

 

4ヶ月経ち
どこに履歴書送っても面接にもいけねぇ(´;ω;`)、なんでだ…(ゲームでもするか…)

 

5ヶ月経ち
もう何もする気がせん(´;δ;`)…(ゲームでもするぅ?)

 

6ヶ月経ち
(・_・)…(・_・)…(・_・)………………(ゲー…ム……)

 

チーーーン、完全廃人の出来上がり(・_・)…

 

親もだいぶ気を使ってくれていたんだけど
“親の心、子知らず”聞く耳もたなかった

ホント親不孝者で(・_・)すんまそん

 

社会復帰が見えない闇〈ひきこもり時代〉に突入してしもうた

 

 

 

 

 

社会復帰はやっぱり親の助けだった


 

ひきこもり廃人から社会復帰したのは約10ヶ月後だった

最後はやっぱり親の力で助けられた

 

当時両親が営んでいた寝具店のアルバイトとして
無理矢理かり出されたのだ
働かざるもの喰うべからず…
当然の結果ですがw

 

店に来る客は昔からの顔なじみばかり
最初は本気で嫌だった

顔を合わせれば皆決まってこんな言葉をかけてくるから

おお〜大きくなったな、これからこの店の跡継ぎだな!
しっかり頑張りや!!!

 

「店の後を継ぐ」ということを全く考えていなかった私の胸に
この言葉がグサッとつき刺さるのだ…

生返事でヘラヘラ笑うしかなかった

 

何度も言うがどうしようもない
ポンコツの親不孝者だ…

 

しかし、接客以外での
身体を動かす地味な労働は新鮮で気持ちが良かった

やりたい仕事ではなかったけれど「社会の一員」になった気がした

 

 

 

 

 

時代に飲み込まれ、そして転機が訪れる


 

一応の社会復帰を果たし親の元で仕事をし、スネをかじる生活が
約1年6ヶ月ほど続いた

 

そんな中
両親経営の寝具店が倒産することになった

 

このご時世近所に量販店などできれば
昔ながらの小売店など太刀打ちできる訳がないのである
当然と言えば当然、時代の流れに勝てなかったのだ

このポンコツ息子がしっかりしていれば
話は別だったのかもしれないけれど…

薄々は気づいていたが倒産すると聞かされたときは
当然ショックだった

店を継ぐ気など全くなかったのに倒産の現実を
受け止める時にはものすごくショックを受けた

それは両親の表情が今にも自殺してしまうんじゃないか?

と思うくらいに憔悴しきっていて本当に見ていられなかったから

 

こんなポンコツ息子に対して

泣きながらただただ “ごめんな” と繰り返す母

“無言で涙を流す父”

“こっちこそごめん…としか言えないポンコツな私”

 

この時なにもしてあげられないポンコツな自分を
心底後悔した25歳の冬だった

その1週間後、我が家の夜逃げ生活が始まった…

 

 

 

 

 

一夜にして立場が逆転!? ポンコツな私が両親を守る側に


 

長年同じ場所で商売をしてきた両親
倒産・夜逃げになったことは本当にこたえたようで

これからどう生きていけばいいんだろう………

声に出して言わなくても、そう考えているんだな…
と解るくらい顔に書いてある

 

だから「ああ、この人達ほっといたら自殺するわ…」
とリアルに思った

アカン、アカンなんとかせねば( ・`ー・´)

 

その日から私が両親の面倒を見る、逆転生活が始まった
一路、市内のビジネスホテルへ逃げ隠れる

 

両親は誰か知り合いに見つかるとヤバい…
と思い全く外へ出ようとしない

食料調達、夜逃げしてきた店の状況観察、新しい住居探し、などなど
ポンコツな私が必死で奔走する

その合間に日雇い派遣(肉体系)のアルバイトもしながら

実は私には2つ上の姉がいるのだが
このときは既に結婚していて迷惑を掛ける訳にもいかなかった

 

正直、肉体的にも、精神的にもホントにしんどかった(゚ノ´Д`゚)ノ
でもやめられる状況ではにゃいwww

今までぬるま湯で生きて来たから余計に
しんどかったんだと思うケド…

 

そんなこんなでなんとか家族全員の見通しも立ち
仕切り直しの新しい生活が始まろうとしていた

 

 

 

 

26歳ポンコツフリーターの決断


 

ほとぼりがさめ、新しい住居で両親と3人で暮らし始め
一応の平穏な生活が戻って来た(●´∀`●*)

父はもれなく“自己破産”

母はその“保証人”ということで、借金は残った。
最終的には少しずつでも借金を返済していくことになった

 

さぁ、これから私はどうしようかな?

 

ポンコツな私に将来のビジョンはもちろんなかったw
見事に白紙ww
ポンコツだからしょうがにゃいwww

ここでまたやりたい仕事がにゃい…な状態に逆戻り

バイトはするものの、起業したいわけでも、正社員になりたいわけでもにゃい
要は未だにやりたいことがなかったのだ

 

しかし私も26歳
やりたい仕事がないから、仕事をしにゃい…
というわけにはもういかない

 

そこでちょい考えてみた
自分の好きな事ってなんだろな?
それで思い浮かんだのはこんな感じだった

 ・写真を撮るのが好き→カメラマン
 ・絵を描くのが好き→イラストレーター
 ・古着が好き→ショップ店員
 ・音楽が好き→レコード屋店員
 ・サーフィン好き→ショップ店員 or 海の近くに移住

 

どれこれも中途半端な夢…
この中でどれにしようか?と考えた
で、
・絵を描くのが好き→イラストレーター
になろうかなと思いたつ

 

イラストレーターになるにはどうしたら良いのか?
さらに考えた

 

そうだ、専門学校行こう!と思い
26歳にして専門学校生になるのであった

 

 

 

 

 

決断はしてみたが、腹を決められないポンコツ


 

新しい生活、夜間(2年間)の専門学校生活を始める

同級生はほぼ18歳〜20歳

見た目が若い26歳の私はさほど浮かなかった
むしろ思いのほか馴染んだw

 

学費は深夜のカラオケバイトで捻出
覚悟は決めていたつもりだがやっぱりしんどかった

仕事をしながら、課題をこなし1年やってみた

 

1年経ち、ようやく気づいたことは

イラストレーターだけで食べていくのはかなり難しい
ということ

 

やり方にもよるのだろうけれど
イラストの仕事だけで食べていけるのはほんの一握り

ここでようやく、そのことに気づいた(´;δ;`)

遅いし、浅はかすぎるポンコツ

 

いろいろと話をきいて
イラストレーターで食べていくということを
貫く気持ちが揺らぎ始める

ポンコツの運命はいかに…(*。・ ・。* )

 

 

 

 

なんのビジョンもなく専門学校を卒業することに


 

イラストレーターを目指し通い始めた専門学校
その2年が終わろうとしていた

単位を取り、卒業制作も済んだけれど
就職先はもちろん決まっていない

学校の先生はイラストレーターは自分で仕事をするんですとも言う

だけど、そこまでのスキルも根性も私にはにゃかった…

 

この先どうしようかな…
なんのための2年間だったんだろか(´;ω;`)…

卒業してまたも路頭に迷うポンコツ
もうどうしようもにゃいw

 

 

 

 

完全になめた感覚でデザイナー志望に転向


 

さあ、どうしようこの先…
カラオケバイトも一生する仕事でもないし…

とりあえずバイトをするだけの日々

あ〜ホンマにヤベぇ…

 

活路は見い出せなかった

そんな悶々としたある日こんなことを思いついた

 

一応専門学校でデザインをちょい習ったし
ちょっとやったら出来るかもなw
デザイナーの方が就職口多いっていうしw

 

あからさまになめた感覚で
デザイナーになろうと思い立つ!
少し絵も描けるし、なんとかなるやろw
的な発送であるwww

 

え〜っと、デザイナーになるにはどうしたらいいのかな?

 

このときデザイン業界はまさにデジタル時代の到来
ちょうどスケルトンボディのimacが出だしたころだった

 

パソコンもまともに触ったことがなかった私w
もちろんパソコンも家にはにゃいw

 

よし、パソコン買おう!インターネットも出来るしなw
ってことで人生初のパソコン〈imac〉を中古で購入
その当時中古でも75000円もしたのを覚えている

 

 

 

 

完全独学でイラレ・フォトショの特訓の日々が始まった


 

パソコンまでローンで購入したのだから
もう後にはひけない…

お〜し!やったるぞ!

と一念発起し毎日7〜8時間、グラフィックソフトの猛勉強
する日々に突入

といっても始めからすぐに
すんごいデザインができる訳でもなく
イラレ・フォトショの参考書を片手に奮闘する毎日

 

新しいことをやる度に煮詰まり、時間を費やする
そんな繰り返し

ようやく約10日ほどで参考書通りの「チラシデザイン」が出来上がった
デザインというよりはDTPオペレーションw
デザインもほんとショボかったwww

でも自分で出来た!頑張った!ことに対しての喜びが嬉しかった!

これに味をしめ、次々と新しいデザインに挑戦するようになっていった

 

 

 

 

よっしゃ!デザイン事務所に入ろう!


 

独学で猛勉強したポンコツな私
つたない手つきでも少しづついろんな事が出来るようになり
気分はもうデザイナーw

うれしさあまって肩書きが〈デザイナー〉の名刺も自作していたw
まあ新米デザイナーのやりそうなことだわwww

 

よっしゃ、これで就職先は決まったも同然じゃ!◝(^O^)◟
と意気揚々なポンコツ

 

これまでの作品をプリントアウトし、履歴書とともに
数社のデザイン事務所に応募してみた

 

3日経ち、1週間経ち、一向に連絡がこない??
10日ほど経ちようやく

連絡が来た!それは1通の封書だった

封書が届く……ということはもれなく不合格ということ
それからも封書は続々と届いた…(´;δ;`)

 

その内容はどれも同じものだった

この度はご応募いただきましてありがとうございました

厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが、
今回は採用を見合わせていただくことになりました。

ご希望に添えず恐縮ですが、なにとぞご了承くださいますよう
お願い申し上げます。

多数の企業の中から当社に応募いただきましたことに
感謝するとともに、
ポンコツ様の、より一層のご活躍をお祈り申し上げます。

●×デザイン事務所

 

こんな決まり文句の書面とともに
作品・履歴書が送り返されて来た

見事に全滅だった(;n;)

 

 

 

 

 

就職出来ない理由は山ほどあった(;ω;)


 

どうして就職できんのだ?
デザインは頑張ってるのに??
といろいろ考えてみた

 

そんなある日、とあるデザイン事務所の面接で
ケチョンケチョンに言われた

 

君なめてるやろ
27歳で実務経験もないし
しかもデザインもショボい!


もうやめといた方がええで、デザイナーむり

 

!!!!!!!!!!( ゜Д゜;)!!!!!!!!!!!
これが現実だった

 

確かにこの人の言う通りだった

27歳の新卒、実務経験なし、デザインはショボい
まるでいいとこなし

自分では頑張ってデザインしてきた!つもりだっただけに
ショックはデカかったorz

 

そんなこんなで約1年デザインの仕事はできなかった

 

 

 

 

腐らずやっとの思いでデザインの仕事に就くことに( ゚∀゚)/


 

完全に腐りかけ寸前の28歳の時
ようやくデザインの仕事にありつけた!

アルバイトではあったが食品会社デザイン部門での
アシスタントとして仕事をすることになった

主な業務はスイーツショップ、中華料理店、たこ焼き屋などの
飲食店のPOPやポスター、プライスカード、メニュー、看板などを作る仕事

 

やりたかったにも関わらず
いざ始めると急に自信がなくなってきた

ダメ、やり直し!って言われたらどうしよう…
良いのができなかったらどうしよう…

センスない!ヘタクソって思われたらどうしよう…

などと負の妄想がアタマを支配する
結果良いものができない負の連鎖

 

最初からこんな調子でつまづいた

このままではクビになってしまう!これはヤバい!

 

今回ばかりはマジでおしりに火がついたw
本気でなんとかせねばぁ〜(゚´Д`゚)゚と思った

 

デザインセンスを磨くべく、あらゆる本を見まくり
参考にし、取り入れていった
言い方の問題だけど要はパクったw

 

流行のデザイン、見せ方、メリハリの付け方、色使い、ロゴの作り方、など
このときようやく初めてデザインとは?についてちゃんと考えたのだ

 

結果、この切羽詰まった、追い込まれた感覚が功を奏し
本気になれた
日々勉強し、デザインの実績を積んでいった

 

やっぱ人間本当に追い込まれないとダメなのねw

 

ようやくポンコツの殻を破り、人並みの人間になった私でした

 

 

 

長〜い寄り道をしたけれど、今も楽しんで仕事をしてる( ゚∀゚)/


 

ようやくデザイナーとしての自覚も芽生え
経験を積み成長してきた

 

振り返れば、今年でデザイナー歴15年目
よくやってこれたもんだw

 

これだけ長い間この仕事が出来たのはやっぱり

仕事が楽しい!やりがいがある!

と思えたから、もちろん今現在も楽しんで仕事をしている♪

 

 時には徹夜で仕事をし

 時にはプレッシャーでウ○コがでなくなり(ストレス過度だと便秘になる私…)

 時には理不尽なオーダー、修正も受け

 時にはデザインが良くない!となじられ傷つき

 今でも新しいデザインを生み出さないといけないプレッシャーと
 常に納期に追われる日々を送っている

 

そんな仕事でも続けて来れたのはやっぱり
デザイナーの仕事が楽しいから
これにつきる!

 

デザインの仕事が出来てヨカッタァ〜と思う

 

嫌々他の仕事をしていたら未だポンコツのバイトだったかもしれにゃい…
そう考えるとおぉ〜コワ!

 

 

周りの人に“デザイナーしてます”というと

自分の好きな仕事ができていいね!ともれなく言われる

 

こんな話をする度に
“だいたいの人はやっぱり好きな仕事が出来てないんだな”
と感じるとともに

好きな仕事が出来ている自分は幸せなんだなぁ!とも思う

 

さっき挙げたような嫌な事もたくさんあるけれど
それを差し引いても私にとってデザインの仕事は楽しい( ´ー`)
デザイナーという仕事に就けて感謝!ねばった甲斐があったよんw

 

もし、今仕事で悩んでいる人!
絶対に好きな道へいこう!

 

毎日少しづつ目標へ向かって頑張れば
“必ず” “絶対”なにかしら結果がついてくるから

 

後で後悔するよりも、とにかく前へ向いて進もう(*´ω`*)ノ

 

長い道のりの果てに楽しい仕事をみつけた
ポンコツおやじからのエールとアドバイスです

 

ではでは

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